Re: 玉響に東天紅

140字で書くつもりじゃないものを140字で書いちゃったやつをまとめ直すとこ

終演翌日

目が覚めて、入り時間何時だっけ、って焦って
終わったんだ、ってまた寝て
もう一度目が覚めて、入り時間………という
私なりの「ああ終わってしまったんだ」という儀式をやってます。
化粧落とさずに寝たこと後悔してる。


あとはSNSなどの次回情報を全部なおして
それから、鞄に台本を入れなくなって
それから……。


別れを心のなかで整理していく、小さな儀式を繰り返す。

打ち上げ 解散 帰り道

僕たちはわかりあえない。
僕たちはわかりあいたい。
それでも同じ煌めきを一瞬みるため
何かを信じ、すがり、旅を続ける。


夜があける。


なんだか誰かと少し話すだけで泣き出しちゃいそうで
ふらりふらふらといなくなることが多くてごめんなさい。


次に会うときは、もっとおとなになってるようにするよ。
みんな大好きだったの。
僕なんかが同じ土俵に立つなんて、って、思うくらい
でも、それ言ったら失礼だから、不誠実だから、


だから、


いつかあなたが、他の誰かに、
私と同じ作品を共に創ったことを自慢できるような、そんな役者であり続けるよ。

友人関係とファンであることは両立するから付き合いの観劇はしない

「友達少ないし、忙しいのを"付き合い"で来てもらうより、
 観たくて来てくれるファンの方を増やそう」
というポリシーでわりと活動しているのだけど
今日は鉄道繋がりでブログを購読してくれる方が来てくださって
「舞台演劇初めて観たんですけど、面白いですね!」って
言ってもらえて本当に嬉しかった。


私は舞台が好きで舞台に立っている人間だから
(映像や芸能界への入り口という位置づけでなく、という対比で)
私がきっかけで舞台の面白さを知ってもらうというのは
目標であり自分に課した使命のひとつだとも考えている。
というわけで一人、目標達成!やったー!


冒頭で述べたポリシーについて補足すると
友人関係でありながらファンであるという事は成立すると私は考える。
「あいつこないだ行ってやったのに来ねーのか」
みたいな話する役者に同意できないだけ。
観たいもの観たい人を観ないと心が自分のものじゃなくなるでしょ。
あと、自家発電的演劇ムラを打破したいという思いもある。
『都市の舞台俳優たち』はすごくヒントになりそうと思いつつ未読。


少し話を戻す。
そうは言ってもファンが友達しかいなかったら
友達でいるための"政治"が高確率で発生するだろうな。
そう考えると自分のパーソナリティー抜きで
作品(≒演技)を評価してくれる人の存在は意外と大きい。
自信にもなるしね。


ちなみにこないだ役者仲間にそんな話をしたら
「僕のは付き合いで来てください」って言われたから
「馬鹿言うなあなたの芝居好きだから普通に調べてでも行くわ」って返したよ。
これが友人関係(役者仲間)でありながら
その人のファンであるということだと思う。
私も役者仲間にたくさんファンになって欲しいなぁ。


その人の演技だけでチケット代の元が取れる役者さん、というのが
私が同じ役者仲間のファンになる条件な気がするし
(ウン千円したけどこの人の芝居を見れたから大満足!というね)
それは自分に課している一つの突破すべきラインでもある。

 

口だけになっちゃいかんな。

創る作品こそが答えで正義だ。

何巡目かのループ

いったい何度の過ちを経て
選択を繰り返して
たどりついた世界線なんだろうここは。


平行世界のどこかには
あの事故に巻き込まれてあなたを失った私や
あの日あのまま未来を失った私がいて
そんな嘘みたいな針の上の奇跡に立っている。


なんか余計なことばっかり思い出してしまうな。
気持ち切り替えなきゃな。

ボーリング場。教習所。カン、カン、カン、カン。

僕は、こんなに敵を作る人間の癖に、自分が親しいと思ってる相手に裏でひどいことを言われている、とか、そういうのが極端に苦手で。好きな人同士で喧嘩してる、とかも苦手なんだけど、好きな人に好かれていない、というのは、そうとう、クるものがあるのですね。なんてことを、ば。嫌いな人がひどいこと言ってれば、その人を嫌いになればいいのだけど、好きな人がそれを言ってたら、嫌いになるにも、その人を好きな自分を否定することになりまして、脳がエラーコード吐くの。たぶん僕が何かひどいことをしたんだ。大丈夫。世界で一番大好きな人は、まだ私のことを愛してくれている。大丈夫。大丈夫。大丈夫。愛のままにわがままに、僕は君、だけ、を、傷つけない。

小劇場のアンケートの機能について

こないだアンケートのない公演に行って気づいたのだけど
小劇場のアンケートには、単にお客様から
感想をいただく機能だけじゃなくて
観た人にとっても、観劇という受動的な体験に対して
感想を手書きするという観劇に紐づく能動的な体験をさせることで
その人の中に作品をより色濃く残す機能もあるのではないかしら。
言語化による再構築と、身体を動かす作業による記憶の定着。
そしてアンケートを受け取り読む側からしても
筆圧の持つ情報量は意外と多い。


とはいえ、アンケートの提出方法が
その場での記入だけじゃなく
QRコードから読み取れるフォームでの入力や
後日FAXでもOKという対応は、
現代にうまく対応しているし、いいことだとは思う。
形骸化せず、きちんと観劇者のことを考えていて好感が持てる。


ただ、やっぱり観てすぐに「書き」たい時もあるんだよなぁ。

ゲームでは忘れることはなかったのに

ポケモンRPGの登場人物も
技や魔法を一度覚えたら
どれだけ久しぶりだったとしても
使ったり唱えたりしたら規定の効力が保証されてるじゃない。


Lv41で覚えた「かみなり」をLv55くらいまでずっと戦闘で使わなかったとしても
Lv56になって久しぶりに使ったら威力120が約束されてるのよ。
いち、にの、ポカンとしないかぎり、威力が落ちたりしないのよ。


だのに現実の人間は、使わないと忘れてくから驚愕するよね。
この技を努力して取得した!って思っても
1年後には使えなくなってたりするから笑える。笑えない。


そんな大事なこと、誰か教えといてよ。
気づくのが遅かったから、二十歳過ぎればただの人。
それでも5年経ったわけだが。