Re: 玉響に東天紅

140字で書くつもりじゃないものを140字で書いちゃったやつをまとめ直すとこ

つなげる係の人

僕は何の技術も持ってなければ
何かを提供することもできなくて
でも出会う人には大変恵まれておりまして。


だから僕の好きな人と僕の好きな人が
僕の起こした波で笹舟の進路が少し変わるような
そんな奇跡で出会い、新しい物語が生まれるのなら
僕がこの世界に存在する意義もあると信じられそうです。


僕が出身演劇サークルにできた最大の貢献は
10期の子達を勧誘したことだし
現在の所属劇団にできた最大の貢献は
素晴らしい二人の俳優をうちの主宰に紹介できたことだと
割と真剣に思っているそういえば。


僕はいつまでもあなた(がた)とは釣り合わない。
それなのにそんななのにチャンスをもらえるから
だからもう自分を嫌いになんてならない。

釣り人のコピペ

売れたい論(有名になりたい論)についてニャーニャー考えていたんだけど
ふと、じゃあ何の為に売れたいの?って考えたら
好きな人とやりたいことしたいからで
じゃあ売れる為にやりたくないことやるより
今やりたいことやればいいんじゃねって思った。
釣り人のコピペみたい。


↓釣り人のコピペ

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

「自称」の線引き

報道時の「自称」についての疑問が飛び交うニュースが
ここひと月やたらと多かったけど
今日の放火魔とか見ると、こりゃ「自称」がないと
同業者はたまったもんじゃないだろうなと思う。


自称、とはつまり、その立場や身分を
世間に担保する人がいないということではないだろか。


ちなみにそういう考え方なので
先日のバンドマンの自動車事故の某報道機関の態度には少し疑問が残った。
トンネル内の横転事故で亡くなったベーシストと重傷を負ったメンバーが
「自称ミュージシャン」「職業不詳」と紹介されていた記事。


私はそのバンドについては事故後に調べて知ったんだけど、
動員やファン数がかなりあるバンドというだけでなく
所属がはっきりしており活動も記録・管理されている立場のバンドマンなのに
「自称」がついたり「職業不詳」とされるのか、という点が

とにかく腑に落ちなかった。


私の考え方で言えば、たとえアルバイトの収入のほうが多くても
事務所なりレーベルなりに所属して活動事実があるのなら
「自称」ではなく、世間に認められて然るべきだと思うんだけどな。
ちなみに、警察発表での「自称」は、納税の有無に左右されるそう。
(ネットソースなので論拠なく要出典な情報ですが)

空想科学少年的ルックスの「選べれる」未来

今日の夕方、すごく小柄な女性が男性と手をつないで道を歩いていたんだけど
連行される宇宙人片側、みたいな手の繋ぎ方だった。


お人形さんみたいなかわいい小柄な女性。
ようじょみたいだ、あの彼氏はロリ好きなのだろうか、と失礼ながら思ってしまった。
ロリコンは、制圧できる「か弱い者」を好むのだ、という偏見があり
そしてこの彼女もそんな理由から
好かれ付き合うことになったのだろうか、と考えを巡らせてしまう。
でも、本当は彼女がようじょみたいだから好きになったのではなく
普通に出会い、好き合い、恋に落ちたのかもしれない。


そう考えると、外見的特徴から勝手にそんなことを思われてしまう女性も
その恋人であろう男性も気の毒だし
でもそれでもそんな風当たりも含めたうえで二人楽しんでいるのかなぁとか
それがなくなるためには空想科学少年的「ルックスを選べれる」時代の
到来を待つしかないのかなぁとか考えた。
(日本語的に不完全だとしてもあの「選べれるのさ」って歌詞が好きだ)


空想科学少年的世界が来て、己のルックスを選べるようになるとして
そのルックスを選ぶ己とは何者なのだろう。
美意識は何を元に形成されていくのだろう。

とある劇場に泊まった夜の雑感

劇場の天井の愛おしさよ。


いまはなきタイニイアリスを思い出す。
あの劇場でのことも思い出す。
もう二度と会えない人のことも思う。


連絡なんて特に取らなかったのに
二度と会えないと知ってから
同姓の方の名前とかやたら目につく。


二度と会えなくなってからFBで見つけて、でも承認されない友人申請は送れない。


こないだ兄さんに、話すかどうか迷って、言いそびれたんだ。
代わりに、今度飲みましょうってだけ言ったな。
兄さんのことだから、感傷にもひたらず、ただ受け止める気もするけど。


もうあの12人は揃わないのだ。


僕は、主宰or作演をどうしようもなく愛してしまっている劇団員、とか
バディ的な役者さん、というのにどうにも弱くて
劇団員だけ少し残るカテコとかそれだけで泣きそうになるんだけどそれは置いておいて
そのバディを亡くしたあの作家さんに
どうやって寄り添えばいいのか僕にはわからないんだ。


あと別の話として、僕はきっとどう頑張っても
最愛の人のバディにはなれないんだけど
まぁそれは別の話。
憧れは理解から最も遠い感情だからね。


なんの話だっけな。楽しい話も心踊る計画もたくさん話したのに
1人になると、1人で劇場の天井を見てると、どこか知らないところに吸い込まれそうだ。
悲しいことでも、つらいことでもないけれど。
寂しくはあるのかも、少し。


小さな思い出がほろほろ蘇る。

インターネットの先駆者的世代としての懐古

「そういうことするのやめて、嫌いになるよ」という言葉に対して
「私べつに嫌われてもいいもん」と返してくる相手との間に生まれる
このディスコミュニケーションをどう克服していくか。


同じことやり返したら相手も同じだけ傷ついてくれるなら話は早いんだけど
そうじゃないから厄介だ。と思う。


たとえば女の子がスッピン撮られる苦痛を
(あ、私は全然平気な人なんだけど、でも想像はできる)
どうやったら男子にわかってもらえるのかな。


「いいじゃんいいじゃん、かわいいよ」じゃないんだよ。
しかもそういう人に限ってSNSにさっくり載せたりするから
人間ってわかりあえないなと思う。


でもよくよく考えてみたら、私なんかは
デジタルツールと「一緒に育ってきた」世代だから
失敗が許される頃(普及率的にも年齢的にも)にたくさん失敗をしていたんだよね。
年上の人に対して、なんでこんなリテラシーもないんだろうとか思っちゃうけど
大人の方がむしろ勉強する機会はなかったのか。


失敗といえば、かはわからないけど
高校~大学時代によく「おこづかいサイト」使ってたな。無料登録とか。
本名が珍しいからさすがに資料請求とかにはあまり手を出さなかったけど。
個人情報(アドレス・電話番号)をある種換金する感覚に近かったけど
これ、この先マイナンバーとか、やばそうだな。


絵の無断転載、自作発言系も、もう長年見てきたイタチごっこだよなぁ。
先人の知恵と対策を上回る速度で技術が発展していく…。
あと肉般若とか15年前かよまじかよ。
電車男も10年前かーって見返してたら、電車男当時22歳とかで
なんかもうすごい衝撃を受けている。
懐かしいなぁ。

 

「そんなにインターネットが楽しいなら

 インターネットにごはん作ってもらいなさい!」
と母に怒られたのも、電車男IEで夢中になって読んでたときだった。
まだ話題がメディアに出る前、まとめサイトだけあった頃。


てかなんだこの懐古おばはん。
話がズレて終わった。まぁいいや。

最近音ゲーにハマっている話

ゲーセンに通うようになって思ったのは
ユーザーネームと腕前しか知らない友人っていいなぁということです。
パーソナルな部分を晒すことなく、ある種の匿名性を保ったまま
共同作業をして楽しむということの、純粋な楽しさ。


趣味ってこういうことなのか。


ソシャゲのギルドにも似たようなものを感じる。
HN文化で育ったから、単純にそれが懐かしいのもあるのやもしれぬ。